横野神社跡
Yokono Shrine former site· 神社
紹介
この社地は、もと河内国渋川郡大地村の神社で、古来より印地之宮または西之宮と呼ばれ、平安時代に編纂された神名帳にその名を記された延喜式の古社であった。御祭神は十一代垂仁天皇の皇子印色入日子の命で、社地は元々三百坪の境内であった。その起源は、日本書紀仁徳天皇十三年の條に「冬十月横野堤ヲ築ク」と云う記述があり、昔この付近を流れていた橘川(古平野川)の氾濫を防ぐため巨大な堤防を築かれたと云われ、その堤の安全と河水の緩流を願って造営されたのが当社の始まりといわれている。江戸時代前期、社殿の倒壊を受け、現在の巽神社の境内に御祭神を移したことがあった。享保年間には、国学者・並河誠所が当社地を調査し、由緒ある旧社である旨を報告した。これにより、享保16年公儀のお許しの下、村民によって再興された。以来、宮座を組み、神燈を守ってきたが、明治40年の神社合祀令により巽神社に合祀され廃社となった。正面の碑は大正8年宮座横野講の人々により建立されたものである。
大阪府・大阪市 観光施設一覧より (観光施設一覧, CC BY 4.0).
アクセス
基本情報
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